●手相における“目”ばかりじゃない。
誰の手にも、じつは目があった?
あなたの手には、目がありますか? そう聞いたら驚くかもしれない。確かに手相の世界では、手のひらの中の目の話は一般的。よく言われるのは左手の親指の第一関節に、指を曲げると目の形があらわれた場合、それは、ものを見通す力や判断力に優れていることの証という……。まずは、その目があるかどうか、自分の手を見て欲しい。
そもそも手相は、性格から能力、運命までその人の全てを代弁するパーツと言っていい。だから、手のシワが作る目があってもおかしくはないけれど、ここで言いたいのは、手相に刻まれた目の話ではない。むしろ全ての人に対して言いたい「手の中に目を持とう」という提案なのである。
例えば日々のスキンケアの時。何かを塗る前に、指先で肌に触れてみて欲しい。その時、目を閉じて深呼吸をしながら丁寧にゆっくりゆったり柔らかく触れると、その日の肌の状態が見えてくるような気がするはず。まさに指先に目があるように……。
「何も見えない、全然見えない」そう言うかもしれない。でもこれは、あくまでもそういう感覚を持ってほしいという提案。指先に目があるつもりになると、または肌の中をのぞきこむつもりになると、何らか見えてくるような感覚になるはず、そう言いたいのである。
●手当てにおける癒しの力も
じつは見えていて、実現すること?
じつはこれ、瞑想などにもみられる考え方。体の中に、エネルギーや気を送る時は、いつも自分の手を使う。ケガや病気などへの医療行為を「手当て」と言うのも、お腹が痛い時に文字通り手を腹部に当てたりなでたりするように、手に癒しの力があるからに他ならない。不安や緊張を感じる時にも、手を胸に置いたり頬に触れたりするのは、手に心を落ち着かせる力があるからで…。
そういう時にも、まるで目のようにその奥にあるものを見通す力があるからこそ、手はその場所を深く癒す力まで持てると考えてみたいのだ。
さらに言えば、人の手には愛情ホルモン=オキシトシンの分泌を促す力が備わっている。だから、母親が子供を撫でたり飼い主がペットを撫でたりする行為だけで、両者が特別な幸福感を得ることになる訳で、そこまで偉大な力を持っている人の手ならば、そこに視覚的な能力があっても、少しも不思議ではないと思うのだ。
逆に言えば、それほどの潜在能力を持った手を私たちは本当にフルに働かせているのか? せっかくの才能を無駄にしてはいないか? 今こそそういうふうに考えてみてほしいのだ。
●お手入れの最後に手のひらで肌を覆う。
そこで見えてくるのは細胞のさざめき
だから、お手入れの前にまず指先の目で肌の中をのぞく。そして、その時感じたり見たりした肌の様子を踏まえて、肌の求めに答えるようにその日のお手入れを始める。
さらに、お手入れの最後に両方の手のひらで肌全体を覆って、肌の中で何が起きているのかをしかとみて欲しい。お手入れの成果は出ているのか? その前に、肌の細胞は喜んでいるか? 満足しているか? 肌内部のさざめきをぜひとも見つめて欲しいのだ。
それこそ、目を閉じて息を潜めて、手のひらに目があるつもりで、肌の中をのぞきこみ、目を凝らしてみる……まさに。じっと見つめると、きっと何かが見えてくるはずなのだ。
いずれにせよ、日々のお手入れがただのルーティーンワークになっている人が多いことは、とても残念な話。お手入れ道具の天才である手と指があるのに、なぜそれをもっと有効に使わないの? もっともっと使ってあげないともったいない、そう思うから言うのである。
あなたの手にもちゃんとある目。その聡明な目であなた自身を丁寧に緻密にみてあげてほしい。すると、いつもの化粧品が何倍にも効くはずだから。効き目は自分で作るもの。自らの手指でつくるもの。できるならば、さらに賢い目を持った手指で日々のお手入れに臨みたいのだ。最高のスキンケアにするために。
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