朝、目が覚めるとカーテンの隙間から眩しい光がちらちらと見え隠れする。春のやわらかな眼差しだったものが輪郭のはっきりとしたきらめきに変わり、家の向かいにあるビルが煌々としている。ベッドに敷かれたタオルケットの下で膨らみ、穏やかな小さい山脈を作っているのは私よりも朝寝坊な愛猫。猫は、“夏毛”という文字通り毛の量を季節に合わせて調整する夏支度を行うけれど、実は家のどこかに隠れて背中のファスナーをそっとおろし、見た目はふわふわなのにとっても快適に過ごせる夏毛スーツに着替えているんじゃないかと思っている。夏毛になって毛のボリュームが少なくなったとはいえ、やっぱり暑そうだ。それなのにいつだってポーカーフェイスでかっこいいうちの猫。時折撫でるとスムースな毛触りがひんやりと感じ、やっぱり冷感素材の夏毛スーツの存在を想像する。有名な冬の歌では「猫はこたつで丸くなる」と歌う一方、暑くなると熱を逃すようにのびのびと溶けるように広がる。夏は緩んで冬にはぎゅっと。季節によって猫のポーズには緩急があるから、観察を深めればそのうち猫の様子で季節や気温の変化がわかるかもしれない。もしもいま自由研究の宿題があるとしたら、私はこれでいこうと思う。
麦茶を作りながら、お昼ご飯はそうめんにしようとぼんやり考えていると、子供の頃の夏を思い出した。実家でそうめんを食べるときの薬味はシーチキンの缶詰がお決まりで、澄んだめんつゆに浮かぶシーチキンのオイルが生み出す丸い膜たちをいつも水晶のようで神秘的だと思っていた。ビー玉やおはじきなどキラキラ光るものが好きだったから、子供の頃からどんなところにでも好きなものを見つけていた。この性分は今も変わらない。そうめんにシーチキンを合わせて食べることは誰しもが当たり前にやっている食べ方だと思っていたけれど、大人になってそれが当たり前ではないことを知った。友人に勧めると大抵驚かれるが、めげずに推し続けることが夏の個人的風物詩。この季節になると、またシーチキンそうめんを知らない人々にこの輝く美味しさを普及することに気合が入る。
太陽の位置がどんどん高くなり、家の中は涼やかな日陰で満たされる。「暑いから日が暮れてからにしない?」と、会う約束をしていた友人から連絡があった。突然ぽっかりと時間が空いた夏の昼下がり。燦々とした外の景色をちらちら横目に、クーラーでひんやりとした部屋でタオルケットにくるまって寝そべり読書をする。外は快晴で美しい。家にいる自分は心も身体も快適。いま自分ができる限りを尽くした夏の幸せがここにある。さらりとした部屋での悠々自適な時間に満足しながらも、大きくてブンブンと音がする扇風機に髪を後ろから煽られながらぬるい空気に包まれるのも本当は好きで、エアコンから扇風機に切り替え窓を思い切り開け放つ。熱風と扇風機の風を受けながら窓際に座ると、すぐにアジア映画のワンシーンの中にいる気持ちになってしまう。特に大きなことは起こらないけれど、他愛もない日々を丁寧に見渡すことができるあの映画の中はいつも夏だ。
真っ青で吸い込まれそうな空に、綿あめのような入道雲が浮かんでいる。夕立が来ないといいなぁと思いながらも、雨上がりの少し気温が下がって過ごしやすくなるむわりとした夏の日暮れも恋しい。クローゼットを開けて一年ぶりに再会したサマードレスに袖を通し、ビーズのアクセサリーに手を伸ばす。夏よりも、春や秋が好きだとずっと思っているはずなのに、冬になるとこっそり夏を待ち侘びている。いざ到来されると夏の底抜けな明るさに圧倒されてしまうこともあるけれど、あのみずみずしさと熱気が交互にくるような夏の合図に誘われてつま先が少しだけ踊り、ハミングする可笑しな自分が毎年現れる。ご機嫌ついでに花屋にひまわりを買いに行こう。夏は天気も心も気分屋で、猫のようにのびのびと自由に過ごす季節。