若い頃、ブランド買いに夢中になった時期がある。今思うとクレイジーなくらい高価なものを、必死で買っていた。でもそれがなぜだったのか? もはや自分でも説明がつかない。なぜ欲しいのか? と聞かれても、答えがないのが“欲”なのかもしれないから。
でも一つ確かなことは、人生が深まっていくにつれ“欲”の対象が変わっていくこと。言うまでもなく、物欲がおさまってくると、心の充足を求めるようになるのが人間。ただ、何を持って“心の充足”とするのか、それは人それぞれ違う気がする。それこそモノよりコト! と体験することを強く求める人もいるだろうし、人との関わりこそ大切と思うようになる人もいる。どれも素敵なことだけれど、人の心を満たしてくれる究極のものとは何か? と言うなら、それはたぶん“知識欲”。「知りたい」と思うことなのではないだろうか。
私はいつの頃からか、テレビや映画を見る上でも、そこに知る喜びはあるのか? ということを見極めるようになった。だから、テレビはなるべく教養もの。映画はなるべく実話もの。もちろん単なる娯楽も心の栄養になるけれど、歳を重ねるにつれ時間を無駄にしたくないと思うようになり、だからその分、知ることへの欲がどんどん強くなっている。無知なまま死にたくないと思うから。しかも何らか知識が増えたと思うだけで、心が弾む。そして知れば知るほどもっと知りたくなり、さらにワクワクしてくる。知識にはここまでと言う終わりがないからこそワクワクも止まらない。そんなふうに無尽蔵に心を満たし、喜びをくれるものなど、他にあるだろうか。
「知りたい欲こそが、若さの源」と言ったのは、誰も海外旅行など行けなかった時代から90歳で亡くなるまで世界中を飛び回っていた有名な旅行家の女性。知らない国に行くこと、知らない人と話すこと、つまり体験も人との関わりも全ては知識欲から生まれる喜びだったというのである。
もちろん真実を知ることは、不安や恐怖、失望をもたらすこともある。地球や自然界のこと、今の世界情勢を知るほどに、胸が痛み、無力感を感じることもあるのだろう。でも何も知らず、心が動かない方がもっと怖い。知ることで喜怒哀楽が湧き上がってこそ、今を生きている証なのだから。
ちなみに、知っているようで知らないのが、オーガニックとは何か……と言うこと。じつはオーガニックという概念が、地球の真実について意外なほど多くのことを教えてくれる。自然の摂理がいかに神秘的であるかも。そういう意味で、最初の知識の扉を開けることが、予期せぬ世界まで自分を旅させてくれるのにも気づくだろう。
そしてまた、歴史や芸術への知識を深めることで、何かが自分の中で育っていく手応えを得ることもできるはずだし、宇宙を知るとまさに視野が無限に広がっていき、よく言われるように、ちっぽけな自分を感じて小さなことにこだわらなくなったりもするのだろう。知ることは全て。知ることから全てが始まる……そう言ってもいいほど。
実は子供の頃、1日も1年もとても長く感じたのは、見ること、聞くこと、全てが知らないことだらけで、そっくり知識になっていくからで、その分、時間がみっちりと使われ、1日も1年も信じられないほど充実していたからだという説がある。
そうそう、あの“博士ちゃん”たちは子供のうちに尋常ではない知識欲に目覚めたからこそ、あんなにキラキラしているのだろう。でも幾つからでも遅くない。私自身、知的好奇心が芽生えてきたのは、特に欲しいものがなくなってからで、もっともっと早くそこに行き着いていれば、自分の人生はもっと彩り豊かなものになったかもしれないとは思う。けれども知的好奇心が自分を変えてくれるスピードは半端じゃなかった。もたらす高揚感もあっという間に人生に彩りをくれた。私たちが探していた幸福感も実はここにあるのではないかと思ったほど。少なくとも、知識欲と出会うと、無駄な時間、暇な時間、心がネガティブになる時間は少しもないことに気づいてしまう。もはやのんびりなどしていられないと。
知るべき事は無限にある。それが私たちに無限のエネルギーをくれるのである。